日本の吸血鬼


吸血鬼は何も東欧に限ったわけではない。血を吸う妖怪、果ては夜間に活躍する夢魔(インキュバス、サキュバス等を含む)も仲間に入れると、アジア、アラビア、インドや南洋の諸国までも範疇に入ってくる。中国や、我が国日本でもその眷族は活躍をしている。平安時代、荒れた京都の大路で人を食らった鬼は、血液を吸う行為を人に見られる事はなかったものの、影から暗躍し人を消し去る姿は現代の我々が知る吸血鬼のそれと酷似してはいなかったか。


そこでここでは、我が国日本の吸血鬼に関する文章について触れてみる。

「吸血鬼」−まず、この語の定義について疑問が浮かぶ所だが、実の所判然とはしていない様だ。「鬼」という存在は古来からあったものの、それは人外のものという意味合いが強く、必ずしも人の形をとってはいない。前述の平安京の鬼にしても、人に変化している姿が認められるのみで、本性は別のものであるという感じがする。 溯れば、中国から仏教と共に伝来した概念であろうとは思うが、その根源は深く、それだけでも専門的に研究しなければ全体を捉える事はできない。
故にここでは現代人としての知識としての「鬼」を中心に話を進める。「鬼」と聞いて、まず浮かぶ姿は二本の角に虎皮の衣装だが、これはおそらく鬼門の方角が丑寅である事に由来するのであろう。そこからするとその意味での鬼はいずこよりともなくやってくる「悪気」とでもいうもので、それはそれで吸血鬼のイメージに合うものだがとりあえずは置いておく。

むしろ、吸血鬼の「鬼」は、殺人鬼のそれと同種のものではないか。すなわち、人の心を失った人、「鬼気」を帯びた人物とでも言うべきか。であるから、鬼気そのものでなく、それを帯びた人の方であるのだ。ただ、吸血鬼の場合は悪質な犯罪者とはまったく別物で、完全に人外の怪物と化しているものと考える。

過去の文献に探ってみよう。

実際、吸血鬼という概念が大正末期から昭和初期以前に我が国にあったかは不明である。海外の文献の中には日本の吸血鬼として鍋島の怪猫やろくろ首(飛首蛮とも)があげられているが、確かに伝説の中でそれらが血を吸う怪物として認知されていたのかもしれぬものの、人が変化したと言う事が明確にされておらず、その特徴が「血を吸う事」を第一義に考えていない事からも私のイメージする吸血鬼像とは重なりきらない。それではその吸血鬼像に近い逸話は存在していないだろうか。

「吸血鬼小説」の代表としては「吸血鬼ドラキュラ」が真っ先に思い浮かぶが、1956年の平井呈一訳本は「魔人ドラキュラ」とされている。1971年の文庫版は「吸血鬼ドラキュラ」であるので、その間に何らかの変換が行われたのではと想像するが、ブラム=ストーカーの原作は「Dracula」だし、クリストファー・リー主演の映画は「The Terror of Dracula(ドラキュラの恐怖、アメリカ公開版)」であるわけで、どのような経緯で訳語が決定されたかは未だ知らない。

吸血鬼というのが「Vampire」の訳語であろう事は間違いないが、江戸川乱歩の「吸血鬼」が昭和五年頃、「血吸鬼」にバンパイヤーのルビをふった国枝史郎の「神州纐纈城」が大正十五年。昭和七年には佐藤春夫が吸血鬼の訳語を「一般に通用」として紹介している。ここではポリドリの「Vampire」をはっきりと吸血鬼と訳している。結局、それ以前で吸血鬼を紹介している文献が見つからず、初めに使用したのは意外と小さな規模の出版物であったのかもしれない。確証がとれないので、明治期の欧米語の翻訳の試行錯誤の過程の産物であろうとしかいえないのだが、はなはだおぼつかない。 ともあれ、吸血鬼という語にしても大正〜昭和期以前の日本に存在したのか不明となっている。

よって、先ほどの定義に従って日本の吸血鬼を探す。吸血鬼の名は関していないものの、人が道を踏み外し鬼となる瞬間が見られる説話ならいくつか残っている。

日本の吸血鬼小説の源流の一つとして、私は(上田)秋成の「雨月物語」中の「青頭巾」を挙げたい。 もはや、この「青頭巾」については吸血鬼研究の先人達にも取り上げられているし、国文学専門ならば尚更であるが、一応物語を要約してみる。

昔、快庵禅師という高僧が旅の途中ある里に寄り、一晩の宿を乞おうとして鬼と見間違われた所から物語は始まる。誤解を解いて家に入れてもらった禅師は主より今巷を騒がせている鬼の話を聞かされる。なんでも、里の上の寺に徳のある僧がいたらしいのだが、ある時美しい稚児と出会った事から破滅が始まる。
僧は少年をひどく気に入り、深く寵愛していたのだが、少年は重い病にかかり、看病の甲斐無く他界してしまう。僧は身も世も無く悲しみ、死体と共に暮らしていたのだが直に乱心し、愛撫して後に果ては肉片を食す暴挙に陥ったという。
その後寺の人々が恐れ逃げ去ったあとは夜な夜な里に下り、墓を暴き屍を食らうなどしたのだそうだ。
その話を聞いた禅師は伝え聞く鬼の話をし、その状況と違い僧が魔物になることは考えにくいとした上で復帰の余地は有ると解決を約束する。

禅師は山上の寺に赴き、僧に面会し一泊するが、その夜禅師は何者かに襲われるも危機を免れる。朝、僧に問うと、昨夜の襲撃の人物は高僧であり、禅師の神聖さに魔力が通じなかったというのだ。僧は自己嫌悪を感じている様子だったので、禅師は彼を教化し山を降りる。

一年後、再び里を訪れた禅師は里の被害が無くなった事を知り山寺を訪ねる。荒れ果てた寺にはまだ僧が迷いにあった。禅師が一喝するとその姿は骨のみを残して消え去った…。

この物語を普通に解釈すると、地方の教化の問題が挙げられる。禅宗という新教が土着の旧教を駆逐する、その構図だというものだ。

ところが初めにこれを吸血鬼の物語として取り上げたように、この説話は吸血鬼小説に、とりわけ「吸血鬼ドラキュラ」やその子孫に構造が酷似している。


冒頭の舞台設定にしても、とある隔離された生活共同体に旅人が現れる事から始まり、その生活共同体(ムラ)にはそこから外れた場所に魔物の住む不可侵の領域まで用意してある。しかも夜には村にやってきた恐怖の対象が村人を脅かす場面まで書かれている。 最後の鬼僧が骨と化す場面に至っては、ドラキュラが日光を浴びて灰となるあの有名な結末を連想してしまう。

どちらかといえばストーカーの原作小説よりも、テレンス・フィッシャー監督の映画「吸血鬼ドラキュラ」のほうにより近く、他にも共通点は挙げられると思うが、異なる点もある。鬼僧が単なる悪の象徴に止まらず、自分の内に有る邪悪と葛藤し、理性を保とうと苦しんでいるところだ。とはいえこれも近代から現代にかけての吸血鬼像では一般化されてきているので、馴染み深いキャラクターと言えるだろう。

禅師は僧の悪行を過去の因縁と理由付け、美しい少年に出会わなければ心を乱される事も無かったとして、鬼僧の本来の姿を悪しき物とはしていない。故に改心の可能性が残っているとして一旦封じたまま山を下りるという間接的にも思える方法を取っているのだが、ここは旧式の伝統的な吸血鬼小説とは大きく異なる点である。
先の馴染み深いキャラクターと述べた新しいものとしては、アン・ライスの「夜明けのヴァンパイア」(映画版題名「インタヴューウイズヴァンパイア」)に見られるように、吸血鬼になった己の身を忌むべき物と考え、苦悩する吸血鬼が描かれる事が多くなってきたが、これは宗教的な善というものが絶対的であるという価値観が薄れている昨今であるからこそ生まれる発想であって、中世から近代にかけての欧米のキリスト教下に置かれた文化の中では極めて浸透しにくい考え方であるといえる。
その点ではここに登場する鬼僧は東洋的であるといえるのかもしれない。主題が教化という所にあって、旧教を駆逐する過程においても僧侶と言う神聖な立場にあった者においてはその善性を失いきっていないということか。これは異教を駆逐していく過程で土着の信仰の対象となっていた神々を堕落させ敵視してきた一神教たる中世キリスト教の価値観とはまったく相容れない。

同じ悪の存在の善にかなわない表現を比較しても、ドラキュラが脅威的な力として十字架を恐れるのに対し(ただし、近年公開されたコッポラの「ドラキュラ」では、ドラキュラ自身の生前のキリスト教に対するコンプレックスに端を発し、忌み嫌うという解釈がなされていた)、鬼僧は宗教の庇護をうけた禅師の姿が見えることすらなく、怪物にとって不可侵のものであるところを強調してある。ここでも、改宗の仕方が懐柔的であった事が予想される。


そこには正面からの対決はなく、お互いの住む世界のベクトルが違っている事が呈示されているのみだ。もっとも、先の「ドラキュラ」にしたところで原作の本文中にもジョナサンが十字架をかざす事へ偶像崇拝であると懐疑的な意見を述べているので十字架イコール絶対的善とはならず、あくまでも人間の側が敵の文法に合わせ悪魔祓いを行う姿を描いたものとして捉えなければいけないのだろうが。
悪役の生前の立場を考慮してみると、ドラキュラは土着の貴族、鬼僧は聖職者である。貴族は戦争を示唆する存在でも有ったのだろうから、一般の常識的な読者が読む物語として設定されている為に通用する善悪観が必要になってくるし、その点からも悪に妥協の無い魔物の性格を与えられたのかもしれない。それはドラキュラのモデルが実在の猛将であったことではなく、ストーカーがその人物をモデルに選んだ事に起因している。
どちらにせよ、悪役は倒れ、平和が訪れるのだが、村人は一切手を貸さない。あくまでも外来の訪問者が独自に行う事なのだ。これは、隔離させる生活共同体の問題も関わってくるが、現在の状況に不満を持ち、支配者階級に対する不信とそこから来る恐怖を潜在的に持ち続ける住人が、そこからの脱却を渇望していた事に他ならない。

そうした状況が中世では各地に溢れており、その願望は、多くの人々にとって共感できるものであったはずなのだ。にもかかわらず、それが自分達の手で行われる事がない、というのは封建社会からの脱出という思想が根づいていない時代の限界なのだろうか。


ドラキュラの場合においても舞台設定は中世的な村落に近代科学の担い手達が干渉して勝利を収める構図にされ、近代側の視点を徹底してある事はその小説の読者が完全に近代都市の人々を想定されていた事に他ならない。

ドラキュラの方からロンドンの都市生活に干渉してきたのでは、と思われるかもしれないが、それは近代の都市生活者が封建社会に介入する為に必要な建前だった。だからこそ侵略は解放という形で正当化され、潜在的な願望である封建制度の駆逐を達成した市民は共感を覚えるのだ。


「ドラキュラ」はゴシック小説の末裔と評される事もある。実際のゴシック文学はもっと時代を遡らねばならないが、ここにも影響は残っていて、本来のゴシック文学とは19世紀初期前後に流行した都市の中に場違いに時代がかった建築物を配することによる違和感を楽しむ風潮をヒントに生まれた小説群だが、そのやや怪奇主義的な匂いをドラキュラの物語は色濃く留めている。

封建制度の強く残る農村から旧時代の遺物が都市に登場して対処法も忘れ去った市民にとって未知の恐怖を与える様はその出来不出来はともかくいかにもゴシック文学的であると言えよう。ゴシック文学から時代が下って19世紀末、世紀末的思想とあいまって人々の中に広がる根拠の無い不安に対して得体の知れない脅威を顕現させて消去する構図は市民に大いに受け入れられた。現在も古典として読み継がれている事からもストーカーが狙ったその効果が絶大なものであった事は簡単に推察できる。

結末は、どちらも悪役の消滅という事で共通している。死亡ではなく消滅である事に勝利した側の罪悪感の浄化が見え隠れするが、もうひとつ共通する部分にその消滅の際の悪役側のスタンスが指摘できよう。禅師は鬼僧に「江月照松風吹 永夜清宵何所為」という漢詩を呈示して教化の第一段階を終え、山を降りた。歌の意味は自然はそれ自身のみで充足している、それは何の為だという意味。鬼僧は1年の間ひたすらに答えを求める為にその問いを繰り返しつぶやいて迷いの最中にあるように見える。しかし、これは問う事自体を求められるのであって、安易な解答に満足しないでより高次な解答を自身の中に求める事が要求されるのだ。よって、既に禅師と再会する頃の鬼僧はもはや迷いの存在ではなく、それに加えて禅師が喝を唱えることにより言葉を否定し理論のみではない悟りを一気に与える事により鬼僧は成仏する。その瞬間に彼は骨になるが、それは迷いから開放された表現である。

ドラキュラも同じで、最期まで徹底的に抵抗するドラキュラも心臓をナイフで一突きにされ陽光にさらされた瞬間滅びの時を迎えるが、その刹那周りの人間が印象に残るほど安らかな表情をとったとしてある。彼はこの世を呪っていながら現世に執着しなければならず、死の瞬間に初めて至福を感じたのだ。


現代、闇は消え去り、日本は全体が不夜城となった。しかし、封建の世代に培われた原初の恐怖の記憶は、我々の中に深く刻まれている。都市生活の合理性と、科学の光明が終日我々の生活を照らしているように思えるが、光を求めるあまり光量を強めたならば、その陰もまた色濃いものになることを忘れてはならない。合理性により排除された人々の作る新たな貧民層。現代社会に適合しつつ矛盾を抱える人々の持つ心の闇。吸血鬼の住む場所は、現在においてもまだまだあるのかもしれない。


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