吸血鬼の活躍の舞台(2)


当時の吸血鬼の事件例として挙げられた様々の吸血鬼の特徴があるが、それを吸血鬼と特定したケー スの中に村の中で死人が続出し、その原因を吸血鬼に求め先に死んだ村人の墓を暴くと、その死者が 生きていた、というものがある。

その死者は、死後数日あるいは数年経っているにも関わらず生前と同じくみずみずしい肌を持ち、自らの衣服を噛んだり、体の一部を齧っていたりしたという。故にそれを吸血鬼 と判定し、胸部に杭を打ち首を切り落とし、火葬に附したことで以後村人の死人が続出する事がなくなっ たというのだ。この吸血鬼は確かにその当時の村人達にとっては脅威であったに違いないが、確認され ている事実をみると只衣服と自分の肉を噛んでいるのみである。この死者が夜中に徘徊し他の村人の 元に行って吸血行為を行ったというなら判るのだが、その瞬間を見たものはおらず、埋葬された墓の 下で生きていた事だけが判断材料になっている為ドラキュラ」とは吸血鬼のあり方が若干異なる。これ は前述の生命力を吸い取るという定義に基づいて吸血鬼とよぶべきものなのだ。

死者が蘇るというだけなら我々はゾンビというものを知っている。この場合の死者は普通に埋葬された一般の村人であるの で服装も特に変わったものを付けていたという訳ではないので、外見上はそのゾンビに近い。その違い は、ゾンビが何者かによって、ブードゥー教では司祭なのだが、精霊を使役し操られている為本人の意思 はない。対して吸血鬼は死後も自分の意志を持ち自分の領域に生者を引き込むという点が有る。

だが、ここで疑問が生じる。死後何年間も経ってなお生きていたというなら確かに現代の知識をもって しても脅威以外の何者でもないのだが、何日というなら、それは仮死状態に陥った病人がそのまま医学 知識の未熟により家人に死亡と断定され埋葬された後に息を吹き返し蘇ったのではないのかという仮定 が出き、そう考えれば説明がつく。

蘇った「死者」はまずそこから出ようと試み、棺の蓋を開けようとする。

もちろん、それは釘などで充分に封印されているので常人の力で開けられるものではない。仕方なく、 中から棺を叩き助けを呼ぶが、いかんせん土中では村人の元に声が届くはずも無く、また届いたとしても 極めて気味の悪い思いをさせるのみで墓を掘り返すことはないだろう。

そうこうするうち、中の死者は、 今度こそ本当の死の危険が迫ってくる事に気付き、半狂乱になるはずだ。まず考える事は食糧の確保 だが、周りにはなにも埋まっておらず、密室の為生物もはいってこない。ならば、もっとも可能性の高い ものは自分の衣服を食べる事である。

実際、現代でもトンネル工事で落盤が起き、生き埋めになった作 業員が自分のTシャツを齧って飢えをしのぎ、救出されたというはなしも聞いた事が有る。次に、といって もほとんど最後の手段に近いものだが、自分の肉体を食糧とするのだ。そのときの間違えられた死者の 気持ちはいかなるものだっただろう。

埋められたのがまだ力の強い者だったなら万が一棺の蓋を叩き割って脱出するのも可能かもしれな い。しかし無傷では無理だろうから、手や体に出血を伴うケガをする事だろう。脱出してまず最初に 思う事は自分の家族に自分の無事を知らせる事である。

だが、たとえば夜中に家のドアを叩くものが有 り、開けるとそこに血だらけの先日死んだはずの家族が立っていたらどう思うか。その死者にはおそらく 他の村人によって二度目の本当の死が訪れる結果となろう。

私は、それこそが吸血鬼の起源なのでは ないかと思う。勿論これは土葬の地域でのみ起こり得る悲劇なのだろうが、ともかく一旦その事例が 認められると、次からそれに酷似した場合は確実にその集落内では吸血鬼の事件として扱われる事は 明らかである。基本的に吸血鬼は居なかったとして考証を進めるが、村に死人が出、それを追う様 に死人が続出するとしたらこれは問題で、その権力者はなんらかの手段を講じねばならなかったであろ う。それが疫病ならば無理だが、死者に呼ばれると信じる事から生まれる過剰なストレスによるものが 原因なら、一人をスケープゴートにして吸血鬼退治をパフォーマンスとして行えば、ある程度は防ぐ事 ができたのではなかったか。それならば、吸血鬼信仰の意義といったものが、擬似的に科学によって証 明された気にもなる。そういった事柄の積み重ねが吸血鬼信仰の民衆への定着を補助したのではない かと思う。


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