吸血鬼の活躍の舞台


前述「吸血鬼幻想」では、最初に吸血鬼の主な活躍地として中世のバルカンを挙げている。

これについ ては、我々もトランシルヴァニアに対してドラキュラの国である印象があるので分かり易い。以前ルーマ ニアでチャウシェスクの事件があったとき、彼の人生とヴラド=テーペシュとの比較が論じられたりした 事からもその認識が一般的であるのだろう。

古くはハンガリー王で神聖ローマ帝国皇帝ジギスムント が、1414年の世界公会議において「狼男」の存在をローマ教会に認知させたという。ということは、こ の時点において皇帝も認める吸血鬼信仰が当地方において盛んに行われていたと考えられる。吸血鬼 が盛んに論じられるようになったのは十八世紀であるが、当時は迷信と言われ半信半疑の状態であっ たようだ。そこでその証拠として挙げられるのが主に十七世紀のもののようであるが、その信仰が全国に 広まる以前、まだ中央に集束していない時にも地方では個々に吸血鬼を信じていたようである。おそら く、中世時代に全般に渡って共通の知識だったのではないだろうか。

俗に暗黒時代ともいわれるこの時代、我が国の中世時代とはやや状況が異なり、生 活共同体は主に森林によって分断されていた。封建制度のもとに暮らす農民や一般の住人はそこで生 まれて家業を世襲し、ほとんどがその共同体から出る事無く死を迎える。そこに疑問を持たせないため にも森林は侵さざるべき神聖な空間であり、恐怖の伴う場所であったのだ。我が国の歴史に山岳信仰 が見られるのも似た理由であるのかも知れない。故に、一般の住人は森林に立ち入る事はない。

考えてみると「赤ずきんちゃん」や「眠り姫」、「ヘンデルとグレーテル」なども森林は特別な異界空間への境界と して扱われている。ならば、オオカミが森林の番人として絶対的な恐怖感を住人に与えたとしてもおかし くはない。「狼男」がオオカミである理由は意外とその辺りに有るのかも知れない。

話を戻すが、その分断された共同体を行き来する存在というのは少ない。理由としては前述のものが当てはまるであろう。 危険を冒さなければならないし、何といっても共同体からの分離は多くの住人にとって死を意味するの であるからで、わざわざリスクを負うほどのメリットはそこに見出せなかったのだろう。そうすると自然に他 の共同体からの情報というものは皆無に等しくなる。そこで使われたのが吟遊詩人らによる口伝のニ ュースの伝達である。こういった形で各地に散在していた情報が情報手段の発達により集約されたの だろう。

最も初期の興味深い総括的な吸血鬼の論述として、1746年ベネディクト修道会士ドン・オーギュスタン・カルメによる「精霊示源、(破門された霊、ウーピールまたはヴァンパイア)ならびに、ハン ガリー、モラヴィア等の吸血鬼あるいは蘇れる使者(ヴルコラカス)に関する論考」がある。ドン・カルメは 吸血鬼に関する論考の中に多く登場し、1863年コラン・ド=プランシーの「地獄の辞典」の吸血鬼の項 でも記述があるのだが、その中で「数年前、あるいは少なくとも数日前に死んで埋葬された人間が、肉 と魂を持ってよみがえり、しゃべったり、歩いたり、村村を荒らしまわっては人や動物を襲い、とりわけ近 親者の血を吸って衰弱させ、ついには死にいたらしめる」と定義している。これは吸血鬼信仰に対する 肯定ではなく、ローマ・カトリック教会側からの当時流行していた吸血鬼に対する科学的証明を、護教 的立場から反論を試みる目的で吸血鬼の存在報告例を多数挙げ、それを否定しているものである。だ が、個人的には吸血鬼信仰に対し存在を否定していたものの、教会側の一員としては民衆の間に余り にも吸血鬼信仰が深く浸透していた為、おいそれと否定する事が出来ず不本意ながら認知するという 結果に終わっているのだ。


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