ドラゴンクエストというゲームがある。
  全国的に有名なこのゲームに今更説明を加える必要も無いとは思うのだが、これはいわゆる日本のRPGブームの火付け役となったソフトで、 ファミコン時代には大作RPGの第一人者としてトップの位置を欲しいままにしていた。 

  シナリオは当時アドベンチャーゲームをヒットさせていた堀井雄二、グラフィックデザインは鳥山明、音楽はすぎやまこういちという、業界内でも噂となる主力メンバーに加え、当時誰もが認めるトップ少年コミック雑誌であった少年ジャンプでのPR活動も功を奏し、「ドラクエ」は大ヒットした。シリーズは回を重ねる毎に作品のレベルと人気を高めてゆき、三作目でその完成度は最高クラスに達した。関連するTV番組などが次々と作られていく中、 

件の「ダイの大冒険」の連載が始まった。 
  コミックのストーリーは至ってシンプルで、勇者に憧れる少年ダイが、仲間との出会いや強敵との戦闘を通して成長を重ね、最終的には人間世界を滅ぼさんとする大魔王バーンを倒す、というもの。 

  今でも「ドラクエ」ファンの私は、当時もそれをテーマにしたコミックという事で興味はあったのだが絵柄が子供向けの印象を受けたのと他にも「ドラクエ」をテーマにした漫画は数多くあったことから特に注視していた訳では無かった。気になり始めたのはTVでアニメ化されて後である。 

  「ドラクエ」の魅力として、すぎやまこういち氏の取り入れたクラシック調のBGMというものが有ったせいもあり、「ドラクエ」ものの音楽が流れるTV番組は見るようにしていた。 
  「ダイ」では、エンディングで「この道我が旅」の歌詞も披露され、毎回楽しみにしていたのだが、初めて衝撃を受けたのは始まって一ヶ月くらい経ったある回。 
 

    ・・・未熟な勇者ダイが魔王軍の勇士、獣王クロコダインの強襲を受けてピンチに陥っていた頃、仲間のポップはパーティーを離れ悩んでいた。力の強いダイと違って、強力な呪文を持たない魔法使いのポップは、百獣を支配する剛の者クロコダインのパワーの前に自らの死を怖れ、敵の挑戦を受け死地へ乗り込むダイ達を 見殺しにしようとしていたのだ。自分が行った所でなんら状況に変わりはしない、と。 

  しかし、同じ宿屋に泊まっていたニセの勇者の一行、火事場泥棒をしている彼らを軽蔑の眼で見ていたポップは、逆に一行の魔法使いにより叱咤激励されてしまう。以前のわたしもそうだった、勇気が出なかった私は、若い頃に勇者を憧れてはいたが、現在では今のような地位に甘んじている。勇気のかけらが胸の中に少しでも残っている内になんとかしなくてはいけない。相手によって出したり引っ込めたりするものは勇気ではないという彼の言葉に胸を貫かれたポップは、自分達を魔王軍から守る為散った元勇者である師を思い出し、 ダイが敵の奸計にはまり全滅の危機を迎えた王城の中に、単身乗り込んで行くのであった・・・。 

  …と、ここからはややネタバレになってしまうが、結局ポップはやはり力では勝てず、呪文も通じず力尽きようとするが、最後の最後で死を覚悟し起死回生の大逆転で勇者ダイの力を回復させる事に成功する。 
  勇者ダイは見事クロコダインを打ち倒し、王国をあげて勇者の一行に祝福の賛辞が浴びせられる中、みなと一緒に壇上に立って勇者と呼ばれたポップは照れながらも、仲間の勝利を実感し、自分の取った行動を誇りに思うのだった。 
 

  ここではある程度読んだ事に無い人に対しても判る様にと思って書いたのでストーリーを追ってみたが、私が感動したのは明らかに力の違う巨大なものに立ち向かう少年の姿について。 

  奇跡、という言葉は嫌いなので、 剛の者にそれに劣る剛の力で対抗し単純に勝ってしまうのでは面白くない。「ダイの大冒険」の面白い所は、むしろ知恵と工夫によって勝利を収める構図にあると思う。これはストーリーを通じて繰り返されるテーマであって、只の力持ちから勇者へと覚醒していくダイと、人間的な弱さを抱えながら同じ人間からの教えによって自らの信念を高めていくポップの二人が互いの長所を生かし、短所を補いながら成長し、二人とも敵の一団から一目置かれる存在になってゆく姿は、決して現実ばなれしたものではなく、我々にも共感できる所が多いと思う。 
 

もう一つの部分について触れたい。この物語はドラクエであって、ドラクエではない。世界観や、呪文名、モンスター及び武器名などに多少の共通はあるものの、それ以外はオリジナル。キャラはゲーム自体とは関連のないものだが、勇者が魔王を倒したという過去を示されて読者は、自分がゲームをプレイした事を思い出しオーバーラップさせ、それが説明されないままでも曖昧には思い起こせる事で物語に厚みを与えている。ゲームの戦闘シーンとしても、#3以降「ドラクエらしさ」に縛られて時代にリンクできないものになりかけたものとは違ってむしろ源流の「D&D」に 通じるものを感じる。 

  すなわち、前衛の戦士が実際に敵に肉弾戦を仕掛け、後衛の魔術師系がサポートする際、声をかけて戦士を避けさせ、範囲に対して強力な魔法をかけるのだ。最近のRPGではヴィジュアル的に表現されつつあるが、それこそ初期のRPG「ウィザードリィ」や「ドラクエ」で想像し、僕が後期ドラクエに望んで得られていないものなんだ。 

故に、ドラクエであってドラクエではないといえると思う。 そしてまさにそここそが新鮮な感動を呼び起こす所でもあるんだ。 
  全体を通して見てみると、大きく二つに分けられる。前半はダイ達アバンの使徒が幼い少年の姿から成長してかつての魔王ハドラー率いる魔物軍団と死闘を繰り広げる部分、後半は世界の人々から晴れて勇者と認められたアバンの使徒が姿を現した大魔王バーンの圧倒的な強さに立ち向かい、傷つきながら勝利を模索する部分。前半の方がよりRPG的な要素を強く残していて、僕は前半の方が好きだけど、後半見事に熟練したかに見えるアバンの使徒達も、人間としての限界にぶつかり、苦悩しつつ克服する様は本当に読み応えのあるものだ。

  少年漫画の主人公らしいダイは純粋に理想の勇者に憧れて強さを求めるのだけど、やがて人間界の範囲を超えたとき、「強さ」自体に疑問を投げかけられる事になる。勿論彼は真に純粋な性格なので、そんな壁に対しても常に真摯な態度でぶつかって行く。
  対して最初の冒険から共に歩み、最大の親友となるポップは、自分との弱さと常に戦い続け、迷っている。それは戦いを経てレベルアップした後も変わらず、彼は自らの内面に囚われるあまり自分の良さが見えなくなっているが、それをきづかせてくれるのはいつも周りの仲間のさりげない一言なんだ。 

  また「ダイの大冒険」では、本来のテーマとは別にさりげなくRPGの疑問なんかもちりばめられている。地上にいるどんな敵ももはや相手にならないくらい強くなってそののちはどうなるのか。色んな魔法はどのように発動して敵にダメージを与えているのか。など。 

  それと、「ドラクエ」を知っている者ならではの楽しみもある。死んだ時のメッセージ、「あなたはしにました」とか、魔王の元からはルーラで逃げられないとか、#1では雷だったベギラマが#3では炎になっているので、「ダイの大冒険」ではギラ系の呪文は「閃熱呪文」と当て字してあっていわばレーザーのような形態になっているのも興味深い。 
  また、ザオリクやメガザルといった生き返りの呪文を登場させない(誰も使えない)事により戦闘の緊迫感をそこなうことなく維持し続けていくのも、ファンとしてはニヤリとしてしまう表現だ。今では家庭用ゲームのRPGも様変わりして別の楽しみを開発する事に主眼が置かれているけれど、こうした素朴な楽しみという物も再び味わってみたいと期待している。 

 

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