「あ,あのねぇ,オジサンも忙しいんだよねぇ…….それとも代わりにこの原稿書く?」
「え〜い,いいわい.勝手にいじっちゃるわい.おめぇはウイロウでもかじっちょれ」
かなり乱暴な言いかたであり,前田と同じ名古屋出身の方は気を悪くされたかも知れない.しかし,信じられないかもしれないが,編集部アルバイト語では,これは,『まぁ,名古屋のためにも,頑張って原稿を書いてくれ』的な激励の言葉として立派に通用するのである.要は,慣れなのであろうか?
かくて,藤原は孤立無援の状態でフェリスのターミナルに向かった.ターミナルの正面の窓から見下ろす青山の街には,コートの襟をたてて足早に行き過ぎる人々が多く,3月の声とは裏腹に,春の訪れの未だ遠いことを物語っていた.彼の心もまた,しかりである.
ともあれ,彼は所定のLogin手続きを終えるとAdventureゲームよろしく,試行錯誤のコマンド捜しを始めた.勿論,マニュアルと呼べるものは手書きながらも在るのだが,彼の目的は,フェリスの既存命令を使いこなすこともさることながら,隠しコマンドを捜し当てることにもあったのだ.こうなると,とことん熱くなるのは麻雀と同じで,小一時間もたたぬ内に,彼はマニュアルに載っている程度の命令は,あらかた捜し当ててしまった.もっとも,これには訳がある.HELPというコマンドがあって,これがやたらと強力なのである.処理中に何か困った状態に陥った場合には,このHELPコマンドを用いれば,これから先どのような命令を使えばどのようなことができるのかを克明にかつ具体的に,いつでも教えてもらえる.要するに,マニュアルいらずの設計がなされているらしい.
「お〜,分かっちった〜い」
そんな,藤原の声を聞きつけてやって来たのは,くだんの前田である.
「なんだ,もう分かったのか? HELPの使い方が……」
「うっせ〜,使えりゃいいんじゃい,使えりゃ」
ズバリ,痛いところを突かれて多少うろたえ気味の藤原であったが,コマンド捜しの仲間として,前田は最強の供である.すかさず,
「なあ,HELPコマンドの中でHELPを使ったらどうなると思う?」
ときいてみる.
「やってみたらぁ.多分HELPを呼んだ時と同じだろうと思うけど……」
と言ったのは前田ではなく,ふと姿を現した水島である.彼は,よく大学の研究室代わりにアスキー編集部を訪れる.いや,それどころか,自分の研究室へ行くのを忘れてしまうという状態に『異常にしばしば』陥る.
「んにゃ? どったの?」
それでなくとも,水島の出現でややこしくなりつつあった状況に新たに一人の登場人物が加わる.16bitCPUの『奇才』,倉沢である.
「よ〜分からん」を連発する割りに着々と組み上がって行く68000のシステムを見るにつけ,彼は技術者というより奇術者と呼ぶにふさわしいと思うのは,筆者ひとりではないであろう.もっとも,本職の奇術師となるには会話のスピードの遅さ等,若干の難はある.
もちろん,この後に前田による状況説明が一通り行われたのは言うまでもない.そして,前田は水島の言に従ってHELPのHELPを実行してみた.
「すこ〜ん」
声を発したのは4人同時である.しかし,元祖「すこ〜ん」は水島であり,他の3人はそれを思わず真似てしまったに過ぎない.元祖「すこ〜ん」は,その場の喜怒哀楽の程度に応じ,縦方向あるいは横方向に両腕を平行にし挙げるという動作(ジャイアントロボの動作に類似する)が加わるという点において亜流「すこ〜ん」とは大きく異なる.
画面には,こう表示されていた.
「ドウシマシタ?」
国鉄の自動券売機を利用したことのある人なら,『呼び出し』というボタンを押して発売中止の表示が出てからしばらくして,片目だけを隙間からのぞかせて言う駅員の
「どぉしましたぁ?」
の声は,一度ならず耳にしているに違いない.不思議なもので,大方,声は予想もしていなかった方向から聞こえてきて,その度になんら疚しいところのない善良な市民も,一瞬ビクリとしなくてはならない.彼等の発した「すこ〜ん」も,これに似た予期せざる結果に対する驚愕の表現と考えてよいだろう.
「ドウシマシタって言ったってなぁ……」
と戸惑う藤原に,それ以上に混乱していると見える倉沢が言う.
「でもォ,尋いてるョ?」
「だから,ンなこと分かっとるワイ!」
そう食ってかかる藤原を水島が取り成す.
「マァ,マァ.とりあえず,キャリッジ・リターンでも入れたら?」
「ウン,ウン,それがエェ」
前田もここは水島案に同調し,先に進もうと考えている.藤原も流石にそうした雰囲気を察知してか,
「ウン,それが『論理(Logicalであるの意味に用いる)』じゃ!」
と言って,キャリッジ・リターンを押した.しかし,結果は同じく
「ドウシマシタ?」
「でぇ〜!クサっちったぃ」
と言いつつ,フェリスに愛想をつかしたのか立ち上がる彼に代わって,
「どれどれ,オジサンが遊んであげよう」
とターミナルの前に座したのは,前田であった.彼は呆気にとられる3人を尻目にこう入力した.
「オカネ ガ ナイ」
「ソレハ アナタニ トッテ フリナ ジョウキョウ デスカ?」
「モチロン デス」
「イマノ シツモン ニハ 〔ハイ〕カ〔イイエ〕デ コタエテ クダサイ」
「ハイ」
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賢明な読者諸氏なら既にお気付きのことと思うが,これはLISP等の人工知能言語が最も得意とする自動対話型のプログラムの実行結果であると考えられる.
「へぇ〜,よく出来てるじゃん.」
そう言う水島に
「そう思う?」
と聞いてきたのは大渕である.相変わらずのハデな半袖シャツ(真冬でも!)を着ての登場である.なんでも登山のための体の鍛錬の一環なのだそうだが,ひたすら目立ちたいという意図もあるのではないかとさえ思える程,とにかく派手なのである.彼が某ブティックの前に佇んでいたところ,見事にソノ手の人間に間違えられたと云う話は,編集部内では余りにも有名である.
「『そう思う?』なんて聞くところを見ると…….さてはぁ?」
そう言う藤原に
「そうなんですねぇ.実は私が作ったプログラムだったんですねぇ」
と応える大渕であったが,内心,少しタネあかしをするのが早すぎたかな――と後悔していた.彼としては,もう少し多くの人間を驚かせたかったのであろう.
「でも,ほとんど考えないで答えてくるじゃん」
と言う倉沢に大渕が
「そうなんだよねぇ.何をCPUに使っているのか知らないけれど,全然,悩んでる時間がないんだよねぇ」
と答えたところで,彼等の方針は決定した.フェリスをとことん悩ませてやろうというのである.それには極めて難解な質問を極めて難解な文章を用いてふっかけるに限る.……が,ここで彼等ははたと気がついた.難しい文章が想い浮かばないのである.だからと言って,これで彼等の国語力を云々するのはいささか酷であろう.凡そアスキーのスタッフは,須らく努めて平易な文章を書き,以って読者の理解の便に資するべく,日々研鑽し……ありゃ,何が何だか分からなくなってしまった.ともあれ,彼等はさしたる討論も行わずして,このターミナルに大渕の提案による『神とは何ぞや』という形而上学的命題を投げ掛けることで,意見の一致を見たのである.
前田がキーを叩く.大渕が,
「そら,データ・ベースの方に検索にいくぞ.ものがものだけに,かなり時間がかかるかもね.『紙』とか,『髪』とか同音異義語も結構あるし」
と言うそばから,どの『カミ』なのかをフェリスが聞いてきた.前田は『神』である旨をターミナルに入力する.かくて神に関するデータベース上の百科事典的知識に基く議論が始まる――そう誰しもが考えた.しかし,結果は,
「ソモソモ 〔カミ〕 トイウ ガイネンハ ジンルイノ モツ シュウキョウ・ジョウノ スウハイノ タイショウデ アリ,〔フェリス〕ハ コノシュノ ガイネンヲ ヒツヨウ トハ シナイ」
と出てきた.
「あはは,うまいうまい!」
藤原が褒める.
「ほんと『すこ〜ん』だね」
これは,もちろん水島である.
「うん,なかなかこってますなァ」
前田も意味ありげに感心し,それを受けて倉沢も言う.
「いっそ,エイプリル・フール特集にでも使ったら?」
「でも,この種のジョークって分かってもらえるかなぁ?」
賑やかに4人がジョーク論を戦わせる中で,大渕だけが茫然と画面を見つめていた.
プログラムした彼のみが知っていた.この極秘プログラムが,この問いに対して,
「ワタシガ 〔カミ〕デアル」
としか,答える筈のないことを.フェリスの方が彼より役者が一枚上だったようである.
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