ドラキュラの治世



  オスマン=トルコに捕らわれていたヴラドに好機が訪れる。それは父の死を起因としていた。

 ヤーノシュはヴラド=ドラクルの後釜にヴラディスラヴ2世を立てていた。しかし、親ハンガリーであるダネスティ家を快く思わないトルコはデヴルシメ制度を受け、トルコ風の教育を施されたヴラド=ツェペシュを送り込もうと画策。

 1448年、ヴラディスラヴ2世はフニャディ=ヤーノシュらとともにコソヴォにおいて対トルコの戦役を展開しており、一旦ヤーノシュ側が敗北を喫した際にヴラドはワラキアに入城し公位を得るが、後にヤーノシュ側が巻き返し凱旋したヴラディスラヴにより座を追われることで、この治世は二ヶ月程しか続かなかった。

 ダネスティ家の反撃によりヴラドは退却、父を殺したトランシルヴァニアから追われるヴラドは、モルダヴィアに逃亡する。母の兄に当たるボグダン2世の元にかくまってもらうことになった。
 

 ここでその息子シュテファンと交流。後のシュテファン大公である。

 このモルダヴィアで、3年ほど滞在したヴラドは、トルコ捕囚時代に影響を得たビザンツの学問を習得することになる。また、その間にシュテファンとの間には友情も芽生え、互いに自分の公国の主権者になっても、他方が公位に就くときにはいかなる努力も惜しまないと誓ったと言う。

 しかし平穏な日々は長く続かない。

 1451年、ボグダン2世が彼の政策に反対した地主貴族の手により暗殺され、シュテファンと共に逃亡して身を隠すこととなる。

 行き場の無い彼は、父の敵の地トランシルヴァニアを訪れる。ここでヴラドはフニャディに会見を求めたと言うが、トランシルヴァニア領ブラショフの市民に、フニャディ=ヤーノシュの元へひったてられたという説もある。

 敵の真っ只中に陥り、ヴラドの命もかくや、と思われるも、本来は父の仇であったはずのフニャディ=ヤーノシュとヴラドの間にはなぜか友好が芽生えた。
 

 もっとも、これにはうがった見方もあって、ヤーノシュはワラキア公ヴラディスラヴ2世を後見していたが、ヴラディスラヴは戦に弱くヤーノシュの信頼を失い、対立をしており、かつ当時勢いに乗っていたオスマンに押され、トルコ通貨のワラキア国内での使用を認めるなど、ダネスティ家は親トルコの態度をとっていた。そのため、ヤーノシュはダネスティ家が完全に裏切ったときの為の手駒としてヴラドを手の内に収めることにしたのだともいう。
 事情はともあれ、フニャディ=ヤーノシュがヴラドの良き師となったことは事実である。

 政治的手腕、軍事的能力ともに学んだようで、この頃のヴラドはヤーノシュの戦闘に随参もしている。彼等の出会いに友好の逸話が生まれるのも判る話である。

 その後、ヴラドは1456年にヤーノシュが病死するまで彼に師事する事になる。
 当時はトランシルヴァニアのシビウに居を構えており、これはワラキアに最も近い所に住んでいたいと言う彼の希望もあったようだ。
 

 
 トルコではムラトが病死していた。ムラトの後は息子のメフメト2世が引き継いでいたが、彼は以前にムラトから王位を引き継いだ際にあまりの暴走にムラトがクーデターを起こして陰位させた経緯があったので、国内での評価は低かった。
しかし、その後の活躍は周知の通りである。ファティヒ(征服王)と呼ばれたメフメト2世の誕生である。
 1453年メフメト2世のコンスタンチノープル陥落。

 
 1455年 フニャディ=ヤーノシュは再びワラキア公ヴラディスラヴと友好を結び、対トルコを誓うがすぐに挫折、またもや両者の関係は険悪になる。一方ヴラディスラヴは、ヴラドの元に反ダネスティ家の貴族が集まるのを怖れ刺客を放つがヴラドに見つかり惨殺される。ヴラドは手引きしたであろう地主貴族に処刑に手を貸させ、その場の一同全てに順番に処刑に参加するよう仕向け、刺客をなぶり殺しにしたという。
 ともあれ、これでヴラディスラヴのヤーノシュからの評価は最低にまで落ち、ダネスティ家の運命は決まっていた。

 1456年、トルコのセルビア襲撃。

 フニャディ=ヤーノシュは国外逃亡した君公に替わり十字軍を率いてこれを撃退するが、しかしペストで病死してしまう。

 そのころいつも傍らにいたはずのヴラドはヤーノシュの手勢を借りてワラキアに侵攻していた。
 既にハンガリー国王から正式なダネスティ討伐の許可を得ていたヴラドは、迅速に行動した。

 ハンガリーとトルコにどっちつかずだったヴラディスラヴは公国内の貴族からも見放されており、ヴラディスラヴ2世の迫害を恐れてトランシルヴァニアに亡命していた地主貴族達の支持を得て、ヴラドのワラキア公就任が確定する。ヴラディスラヴは地主貴族たちの手によって処刑された。
 

 しかし、ヴラドがワラキア公に就任した途端、地主貴族への粛清が始まる。


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