小説「ドラキュラ」のモデル


 B・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」の扱いの難しさは既に触れた。
  吸血鬼といえばドラキュラであるというのに、 意外なほど、小説「ドラキュラ」を論じている書物は少ない。あるいは、ドラキュラ学会などの研究者同士の集まりの中では多くが見つけられるのかもしれないが。

  とはいえ、現時点では資料は少なく、かといって 独断で「ドラキュラ」を読み解く事に自信はないし、危険であるとも考える。

   よって、 少しでも多くそのテーマを考える上でのヒントを探そうと思う。そこで、 モデルとなった実在の人物「ヴラド=ツェペシュ」を見ていくことにする。
  この吸血鬼界での超有名人は、以前でこそ吸血鬼マニアの間でのみ かわされる会話の中に登場する、知る人ぞ知る、といった存在だったが、昨今では吸血鬼を冠した文章のなかには 必ずといって良い程登場し、コンピュータゲームの中にまで名前を見掛ける程になっている。


  映画の中にも、ヴラドイコールドラキュラのイメージを前面に出した物も有り、それはそれで一つの解釈なのであろう。

 
  なぜこんな回りくどい言い方をするかというと、先の「吸血鬼ドラキュラ」の作者であるB・ストーカーが どれほどヴラドを有名にしたかったかというのが定かでないから、である。
  前のページで既に述べた通り、ストーカーが「ドラキュラ」吸血鬼小説を書こうとしたきっかけとして、「吸血鬼カーミラ」の 存在と彼自身の物と言われる日記の記述から以前より繰り返し見た悪夢が挙げられる。

もっとも、 「カーミラ」を見た事により悪夢を見るようになったのかもしれない。

 
 カニを食べて体調を崩し、悪夢を見たと言うエピソードも存在するが、これは後年のインタビューでストーカーが語ったものを彼の息子が伝聞しているもので、公的ではあったかもしれないが、本来は日記の記述のほうが心情に近いのかと思う。


  その小説の中で彼が一番表現したかったものは何か。先の悪夢を再現するという事からも、 それは「恐怖」であると考える。

  現在の吸血鬼小説に見られるような歴史的考察や、吸血鬼自身の苦悩、果ては 耽美的な恋愛を表現しようとしたのではないという事だ。といって、それが悪いと言う訳ではない。
 

  「吸血鬼」が恐怖の対象となる為には、あまり現実味を帯びて しまって人間臭く、美しくあっては不都合であると思う。 平凡な人間らしいキャラクターが吸血鬼だといって現れても、それに対する感情は恐怖よりもまず嫌悪であろう。 それではストーカーの当初の目的には不適切だと思われる。 私は「恐怖」を前提に漠然とストーカーは自分の吸血鬼像を思い浮かべていた事と考える。 これは丁度、悪夢を見たストーカー本人が抱いた感情なのだが。


  前述の通り東欧の伝説とヴァンベーリ教授の助力により「ヴラド」に出会った彼は、 その後ヴラドに関する文献を調べている。彼の吸血鬼像が急速にヴラドの影を濃くしていった事は確かだ。

  大体、「ドラキュラ」という言葉自体が「ヴラド」を表わしている。ストーカーは「ドラキュラ」という単語の 方に先に出会っているが、元々これはヴラドの贈り名である。
 
 

  当時の西洋では、姓は一般的ではなかった。我が国日本でも 庶民が名字を持ったのは明治以降であるが、中世西洋においては貴族ですら姓を持たないのが普通である。

  しかも、キリスト教圏ではほとんど聖書の中からの名前の引用であるし、親族内で名前が受け継がれる事も習慣として 強く残っていたので洗礼名だけでいうと親子すべて同じ名前になってしまう可能性はある。

 とはいえ当時の人々は自分の国を 治める領主の名前が同じであろうと、誰が誰の事を言っているかは判ったはずだが、後世の歴史家は大変である。 そこで、区別の方法が編み出される。

  名前に地名をつけるのもその一つ。ダ・ヴィンチなどは「ヴィンチ村のレオナルド」 という意味になる。これが「字名(あざな)」で、当時の区別はほとんどこれであろう。
  後者の歴史家は、代々の君主の 功績を称え、それに見合った名前で読んだ。これが贈り名で、先の「ヴラド=ツェペシュ」もそう。日本語で言えば「ヴラド串刺し公」 となろうか。


  ところで、件の「ドラキュラ」だが、ヴラド=ツェペシュの父ヴラド2世が「ヴラド=ドラクル」と呼ばれて おり、これは竜公ヴラドと訳せる。

 竜の様に勇猛果敢な様を表わしたとも言われ、また、竜はキリスト教下では 巨大な蛇と考えられて悪魔と同一視されるので、残虐な側面を皮肉って「ヴラド悪魔公」ともとれる。
 

  ドラキュラまたはドラクラは、 ドラクルの子という意味なので、素直に考えれば竜公の子ヴラドとも思えるし、「ツェペシュ(テーペス)」 ともいわれる事から考えて「悪魔の子、ヴラド」という意味もあったかと思われる。


 「吸血鬼ドラキュラ」の中でもドラキュラ本人がトルコを退けた武将であると名乗っており、ヴラド=ツェペシュがモデルとなった事は間違い無いが、「ドラキュラ」というのが彼のあだ名であることからも判るように、実在の人物像とは大きくかけ離れている。

 また、ドラキュラといえば伯爵なのだが、実在のほうはそんな爵位は受けていない。では、その共通する点は見うけられないのか。その辺りを、彼の生涯を追っていくことで模索していこう。


[戻る][進む]

HOME inserted by FC2 system