先にも少し触れたが、「吸血鬼」という言葉の語源について少し考えて見る。
この言葉はそれが表わす対象と同じく曖昧で不明瞭なもののようで、普段使っている分には何も意味に問題なくきわめてまっとうな言葉のように思えるのだが、その語源を調べようと思うとするりと我々の手をすりぬけて正体をくらましてしまう。 そう、まるでホンモノの吸血鬼であるかのように、遠くから我々を嘲笑しているのだ。
とはいえ、手掛かりが無い訳ではない。 「吸血鬼」という言葉は英語の「vampire」なり、古語の「vampyre」なりの訳語なのであろう、とは容易に推測される事だ。それでは、 まずはその「vampire」の語源に触れてみる事にする。 これは、先述の「吸血鬼幻想」内でも簡単に
触れられているが、栗原成郎著の「吸血鬼伝説」(原題「スラブ吸血鬼伝説考」、河出文庫)に詳しいので、ここではこの著書をガイドとして考えていく事にしよう。 そもそも「吸血鬼」という単語が西欧に広まったのは18世紀のようだ。これは実際の(?)吸血鬼事件が話題となって広まった時期に一致する。それまでは、ごく一部の地域でのみ確認された伝説であったのだろうか。英語やフランス語ではそのまま「vampire」、ドイツ語では「Vampir」となる。 さて、件の吸血鬼だが、古来から伝説の残っていたスラヴ言語を溯ってみるに、やはり先程のuberに似た言語が元になっているようで、ロシア語、ポーランド語、スロヴァキア語、ウクライナ語でも「upyr」かそれに似た音の単語であるらしく、東欧の言語の類推から「飛ぶ」を意味する「-pyr」に否定要素の接頭辞が合成された形で、「鳥に似て非なるもの」という解釈が導き出されている。 これは、原初の信仰にあった人間の死後剥離した精神なり魂が鳥や蝶、蛾などの姿をとるというアニミズムに端を発する。よって、古い時代の吸血鬼は有翼の姿をとっていたと考えられている。このモチーフは、絵画などには顕著に見られると思う。それは夢魔であったり、コウモリの姿であったり。元々は半人半鳥の姿だったのだが、ドラキュラがコウモリに変化する、というのもこんな忘れ去られた時代の吸血鬼信仰の名残なのかもしれない。 西欧に普及した「Vampir」の形は、マケドニアに起因する、セルヴィア、クロアチア語やブルガリア語に由来するとも考えられる。英語の「vampire」は、最初に触れた吸血鬼事件アルノルト・パウルの話が紹介される時に翻訳後として使われたようだ。
さて、我が国の「吸血鬼」はどうやって輸入されたのか。 先に既に触れてあるので重複するが、佐藤春夫がポリドリ作「Vampyre」を訳出したのが昭和七年。解題には太田七郎氏の協力を得たとある。
また、江戸川乱歩の連載小説「吸血鬼」の開始が昭和五年であるから、昭和の初期に確定された言葉である事はほぼ間違い無い。
とあることから、大正末期には導入されつつあった事が推測される。 また、「吸血鬼の事典」によれば、中国の吸血鬼としてキョンシーを挙げると共に、その名もずばり「吸血鬼」(Hsi-hsue-kuei、シーシュエクイ)が併記されており、
とある。ちなみに、ここでいう「鬼」とは日本的な怪物の鬼ではなく、「鬼籍に入る」という言葉に代表されるように純粋に死者の事を指す。 つまり、日本語に訳せば「血を吸う死者」なのであり、「vampire」の訳語とするならばこれほど適切な言葉はなかろう。これが正確な情報であるならば日本語の「吸血鬼」の語源の謎は一気に解明される。 すなわち、明治時代の文明開化の頃から受け継がれて来た語彙の輸入のシステムで、やはり読みをカタカナで表記するよりも意味が判る方が便利だったのか、それに相当する言葉を中国語から引用する方法だ。それは必ずしも、その語句本来の意味と重なりはしないのだが、それでもいくつかの単語は浸透し現在でも使われている。「社会」や「小説」などもそうだ。
さて、いくつか可能性を考慮してみたが、どうも今一つ決め手に欠ける。
語源一つ取っても捉え所の無い吸血鬼。果たして、我々が全貌を知るのはいつになるのだろうか。 |